西暦・年号 月日 事   項
1956
昭和31年
5.15 ガス突出 死3
8.16夜 台風9号の被害 送電線切断、1,500kWの自家発電で保安確保
-.- 台風により南部岸壁、ドルフィン桟橋、端島プール破壊
1957
昭和32年
4.1 大火 未明、端島小学校新築祝いの残り火から出火、端島小、端島病院を全焼、住宅報国寮を焼き罹災19世帯81人
-.- 海底水道完成、給水船朝顔丸廃船
1958
昭和33年
-.- 第2回ドルフィン桟橋完成   
電気釜・冷蔵庫・テレビなどが流行
1959
昭和34年
-.- 人口5259人を記録   第2回ドルフィン桟橋流失
1962
昭和37年
-.- 現ドルフィン桟橋完成   野母崎商船運航開始(長崎〜端島間)
1963
昭和38年
-.- 園芸同好会の有志、各地区子供会など、高島から土を運び、屋上、空き地等に花壇、温室などをつくり緑化運動がはじまる
1964
昭和39年
4.中旬 県下各炭坑、労働者不足 端島も40人求人 不足の原因:ヤマの合理化のテンポが予想外に早かったのと、離職者に対する政府の保護が厚く、他産業へ進出した方が有利と判断されているため 対策:地位の向上
8.17 自然発火 深部区域の注水放棄(昭40.10、他の区域での生産再開)
8.17 ガス爆発 死1 傷22
-.- 従業員1056人を524人に減員、1年間採炭休止。昨年度人口4873人から3391人に急減
1965
昭和40年
10.- 三ツ瀬区域で約20mの厚層累層を多段採炭開始
1966
昭和41年
7.9 <一部> 政府買上により鉱業権消滅(新方式) 
7.25 <一部> 年産20万3,127トン 買上交付決定
1969
昭和44年
-.- 三菱鉱業石炭部門を分離、10/1付三菱高島炭鉱株式会社発足
1971
昭和46年
5.- 緑化運動の青桐、塩害で枯死、植物栽培不能 何度か島に緑を芽生えさせようと努力されたが、防波堤を越える海水にすぐ枯らされてしまった
1974
昭和49年
1.15 端島 閉山式 端島小中学校体育館で780人出席 事故死の215名に黙祷
岩間社長談「保安上、採掘できるスミは掘り尽くした。天寿を全うしたとはいえ断腸の思いだ」
千住繁端島労組長談「汗と炭じんにまみれ生産に励んできた。炭坑の閉山旋風の中で黒字のまま閉山するのは端島だけだ」
離職者、下請を含め816名、平均給与12万円、県内就職希望331名(うち女39名)、県外210名(女26名)、残101名は残務整理、三菱系へ配転
明治23年以来84年で累積1,650万トン 最盛期の昭和16年、従業員2,000人41万トン
昭和48.9.8 閉山通告
昭和48年末 操業終了
昭和49年1.21 求人説明会開始
昭和49年4.20 野母商船定期便終了
3.19 政府買上により鉱業権消滅(新方式) 
高島町=三菱石炭鉱業(株)岩間正男経営 年産309,205トン、1鉱区88,567アール 565人 36.2t/人/月



参考文献
書物名
編著者
「炭坑誌−長崎県石炭史年表」 前川雅夫
「軍艦島実測調査資料」 阿久井喜孝 滋賀秀實