西暦・年号 月日 事   項
1920
大正9年
8.22 感電事故 死者1 午前8時、第三坑々底ポンプ座付近で200Vの高圧線に触れ9人感電、うち1名死亡 人夫 村下丈八(22)
1921
大正10年
1.24 納屋坑夫13人、要求を無視されスト 会社は直ちに解雇、追放  賄の粗悪を同坑労務係宛請願書提出、反響無かったため
-.- 端島が軍艦「土佐」に似ていることから長崎日日新聞が「軍艦島」として紹介。
1922
大正11年
-.- 上陸桟橋(クレーン式)完成
1923
大正12年
9.16 落盤 死者2、軽傷1 午後2時、砥前第14片石炭取片付中 坑夫古賀金太郎(35)佐賀県、箱崎泉太郎(21)愛媛県
12.28 マイト事故 死1、重1 午前6時、削石作業中、爆発 即死坑夫西川義人(26)長野県
1924
大正13年
3.11 坑夫と酌婦心中 夜、高10丈の金比羅崖から抱きあひたるまま投身自殺
1925
大正14年
12.21 マイト事故 死2、重1、軽2 午後1時、第4坑12尺12片岩切坑道掘進作業中、除去し忘れていた不発マイトのあることを知らずに抱穴に土砂崩壊のため鉄棒を突っ込み爆発 死者、鉄棒を突っ込んだ坑夫 高倉太平(35)翌朝死亡 監督のために来合わせた土工人夫頭 大上今次(29)即死
-.- 南部、台風による被害
1927
昭和2年
5.24 落盤 死2 午後0時45分、第5坑内採炭中 坑夫 姜万栄(34) 坑夫 井上清助(33)
7.5 落盤 死1 午前1時20分、第4左4片捲立尻で坑道天盤修理中 坑夫 美之口喜四郎(29)
11.15 落盤 死1 午後2時半、第三坑の充填作業を指揮中 二坑事務所事務員 山本瀧蔵(39)
11.25 自殺 山本瀧三の落盤死を悲しみ、精神錯乱、縊死自殺
11.27 傷害事件 帽子を馬鹿にされた馬丁が、剃刀で馬丁と馬丁監督へ
-.- 昭和館開館
1928
昭和3年
1.26 炭車事故 死1、傷1 炭車暴走、棹取が炭車からふりおとされ負傷、撤水夫 前田久蔵(40)は炭車とともに枠に衝突、落盤し、死亡
7.27 傷害事件 女のことから殴り合い、5日間の怪我
9.29 坑外トロッコ事故 死者1名 堤防修理中、上からトロッコが落ちてきて即死 人夫 田村寅太郎(46)
1929
昭和4年
1.5 坑内浸水 死者11名 
1.5 出水事故 死者9名 午前5時、第4坑第6片で突然増水、坑夫11名行方不明 2人は蘇生、直方筑豊鉱業所より技師以下十数名の応援
5.20 脱走し前借踏倒常習 元坑夫小森納屋の前借を踏み倒して同所より1キロの端島北の中ノ島へ泳ぎ渡り、そこから便船で長崎へ行き、その後各地で前借踏倒常習 昭4.5.20 長崎市を徘徊中、挙動不審で取り調べ
6.16 殺人 坑夫が工務係を 即死 繰込のことから鉞で
6.28 落盤 死2 坑夫 朴全伊(35) 坑夫栗谷敦盛(24)
7.28 傷害 坑夫同士 些細なことから斧で 重傷
1930
昭和5年
6.21 炭車事故 死1 正午、4坑上方除軌卸で振り落とされ即死 運搬夫 庵下勇作(21)鹿児島県
7.24 落盤 死1 午前2時、4坑右元片、坑口600間下坑低で作業中 坑夫 白木弘二(25)
8.10 最初の直営合宿所完成
11.22 炭車事故 死1 坑夫 素且明吾(33) 午前6時40分、第4坑内で炭車と壁に挟まれ死亡 -.- 台風による被害、西海岸破壊
-.- 台風による被害、西海岸破壊
1931
昭和6年
1.19 落盤 死1 四坑右卸掘進中 中西幾松(28)大阪府
3.8 竪坑で墜落事故 400尺の高さから 死者、古賀岩夫(27) 重傷3名 軽傷1名
3.10 殺人 坑夫同士 口論からのみで
3.24 殺人未遂 坑夫同士喧嘩から斧で 5週間の怪我
-.- 第6回埋め立て
1932
昭和7年
-.- 給水船三島丸進水。 坑内運搬が馬からベルトコンベアに変わる。
1933
昭和8年
5.22 落盤 死3、重1 午前9時半 第4坑内百間の坑道 死者、坑夫川副新平(25) 藤吉三吉(26) 除新救(28)
7.17 落盤 死1 午前0時坑内採炭中 坑夫深町作兵衛(35)即死
9.24 傷害 加害者:坑夫 被害者:同2名 酒の上の口論から酒瓶で
-.- 女子の坑内労働禁止
1934
昭和9年
11.26 落盤 死1 坑夫 坂本鳩巣(22) 南部第3片で
1935
昭和10年
1.15 国防献金 「端島炭坑労務者」と匿名で長崎憲兵分遺隊宛、1円と手紙同封 「自分は兵役を免れたから、これから一ヶ年間毎月一円の国防献金を続くる覚悟である」
2.7 製塩工場事業廃止
3.26 ガス爆発 自然火増大のためガスに引火死者25名、重軽傷者10名 午後9時半、第4坑右卸右盤下5方11尺層目貫上層で自然発火。直ちに密閉したが圧搾のためガス充満、第2回爆発。注水鎮火。第1回爆発での調査のため急行した幹部ら応急工作中に爆発。死3、重18、軽6、坑内約200人は無事避難
3.26 端島..近代味豊かな鉄筋コンクリートのモダン納屋がそびえ、遠くから見ると軍艦の感じがする。一寸先でも風があると陸揚出来ない。高浜村の財源は全部炭坑が負担しているようなもの
端島人口 3,136、炭坑就業 1,240、出炭(昭8)20,500噸
6上旬 高島とともに鮮人坑夫350余人の間に親睦会計画 鮮人相互の親睦と日本語の指導無(夜学会)
1936
昭和11年
9.9 大竪坑改定2000尺、6ヵ年の工事を終え完成
10.29 落盤 死1 第12柵坑道作業中 坑夫 西原万次郎(47)佐賀県
1937
昭和12年
5.2 事故死1名 信号係 東川常雄 ケージにふれ死亡
7.1 高島とともに、賃上げ 坑夫一律1割 職員100円以下1割
11.10 落盤 死1 山戸春光(21)
-.- 20号棟の屋階に社立幼稚園設立
1938
昭和13年
6.10 傷害 坑夫同士 口論から下駄で
6.12 事故死1 坑外夫 西節五郎(31) 坑木割砕中、破片に当たり死亡
6.19 傷害 坑夫同士 鶴嘴で、1週間の怪我
11.24 賭博 朝鮮人12名逮捕
12.- 稼働率低下対策として、「終りと始めを休まぬ会」と称し、12月1日の2ヵ月皆勤者は箱崎宮参拝の条件で450名を集めた 皆勤93名(全坑2,000余人)
-.- 海底電話通信開始
1939
昭和14年
1.22、29 献身報国日
1月22日、29日(公休)を献身報国日とし、全従業員2000人余、自発的出動、純益は国防献金とす 結果として2,600余円の稼高、雑費差引2,000円を陸海1,000円ずつ献金す 今後も体力の続く限り行う旨申合せる
3.2 梅香崎署、無病酌婦の表彰
「国民体位向上は先づ花柳病の撲滅から」とし、高島・端島両炭坑地の酌婦ら花柳病予防優先者表彰式を行う(1年間無病酌婦) 端島27人のうち12人、高島49人のうち19人 長崎市よりも好結果
3.10 武運長久祈願
従業員、家族のため修養として生花、裁縫、時局座談会等を行ってきたが、陸軍記念日講演会、出征兵士の武運長久祈願
4.27 傷害事件 坑夫同士 口論から鶴嘴で、重傷
6.13 傷害 加害者 坑夫 被害者 酌婦 重傷 ふられて斧で
-.- 朝鮮人労務者が坑内夫として集団移住を開始。エネルギー資源が抑制され、石炭、石油が配給制となる



参考文献
書物名
編著者
「炭坑誌−長崎県石炭史年表」 前川雅夫
「軍艦島実測調査資料」 阿久井喜孝 滋賀秀實