西暦・年号 月日 事   項
1810
文化7年
-.- 露出炭発見
1870
明治3年
3.- 高浜村端島で開坑。深堀村士族 渡辺聞櫓、深堀楳伍
1873
明治6年
1.- 出炭1〜6月983トン、7〜12月2,168トン、計3,151トン平均263t/月
1874
明治7年
8.- 高浜村端島の2炭坑開業 本年は出炭なし
8.- 端島で鉱区取得 深堀村 鍋島孫六郎(旧深堀藩主)
1875
明治8年
9.- 熊本県天草の小山秀、長崎県端島坑主 渡辺聞櫓、深堀楳伍(代理人古賀松一郎)と明8.9.1〜明10.2を期限とし、同坑の出炭請負契約締結
-.- 竹内綱は端島、大島、香焼島で稼行
「余ハ高島近傍ノ端島、大島、香焼三島ノ石炭坑ヲ深堀家(深堀家は佐賀藩ノ家老)ヨリ譲受ケ、明治八年末ヨリ追次開坑ニ着手シ、明治十年六月決算期ニハ、三島ノミニテ毎一ヶ月ノ出炭、二万一千噸余ニ達セリ」
1876
明治9年
6.- 端島炭坑請負人小山秀は、同坑崩壊のため、天草の私有地、家督を抵当として深堀会社より15,000円を借用し、諸雑費に充当
7.- 端島炭坑請負人小山秀は、同坑復興のため英商グレブルとの定約を計画したが、至らず
1877
明治10年
1.22 長崎工作分極は、長崎県人小山秀の願いにより貯船を貸与し、長崎〜端島間の石炭曳船として毎日往復(期間は3.3まで)
1882
明治15年
-.- 小山秀より鍋島孫六郎へ 明23三菱へ
1886
明治19年
8.12 三菱端島、海水侵入による坑内出水 死者32人 負傷者多数
-.- 上八尺層採炭の目的で第一竪坑開削 当時の雇人日給25〜50銭
-.- 三菱高島、端島第一竪坑(深さ27m、長さ3.3m、巾3m)を開さく 次いで明28に第二竪坑も開さく
1890
明治23年
8.- 三菱は鍋島孫六郎の端島炭坑を10万円で買収。同時に海底鉱区25万1,000坪を取得。これによって高島、中ノ島、二子島と端島を結ぶ地域は三菱の手によって開かれることになる
改良を行い明24.2、掘進工事開始
9.1 三菱へ 溜水排除 明24.2掘進開始
9.- 開坑(原料炭)
1891
明治24年
2.- 三菱、高島坑・端島坑の掘進を開始
-.- 蒸留水機を設置し、各戸に飲料水配給(製塩も行う)
1893
明治26年
11.3 三菱、私立(社立)端島小学校(尋常小学校)開校式を挙行
-.- 530尺の進竪坑を開さく(159m) 翌年には第三竪坑を開さく 海底下1,600尺(480m)に達す
第二竪坑開さく 530尺で胡麻五尺層着炭
1894
明治27年
1.1 三菱合資会社の場所を設置
2.23-24 坑夫200人が食事の改善を要求して同盟罷業、社員・警官の説諭をきかず納屋等を破壊。24日午後20余人の警官出動、坑夫39人を逮捕して鎮圧
12.- 第三竪坑開坑 第4層五尺層、最下層一丈層ら着炭
1896
明治29年
5.21 県内石炭等級調(石炭鉱業組合頭取市村正太郎の県知事への文書)で、高島・端島は1等
12.22 三菱、端島炭坑を高島炭坑の支山に改める
8.17 第二竪坑の採掘を開始
1897
明治30年
2.- 第一坑、坑内火災で注水、廃坑(上八尺層) 二、三坑のみとなる
4.13-24 坑夫3,000余人が同盟罷業、納屋頭2人を殺害、警官の説諭で鎮静
11.26 納屋頭その他に対する貸金5,493円余を回収の見込みが無いため切り捨て
-.- 第1回埋め立て行われる(八幡製鉄所開業)
1900
明治33年
9.18 坑内外の所有建物に電燈供給を認可
1903
明治36年
3.3 落盤死1 第3坑14卸第3片磐24号で採炭終了後、落盤
1904
明治37年
10.28 ガス爆発、9人被害
1905
明治38年
8.11 台風で避難、不満続出、223名を即日解雇
暴風雨で納屋30棟全壊、9棟半壊等20万円の損害、納屋住の850人(家族とも1,200人)病院・小学校に分けて収容
1906
明治39年
7.4 炭車事故で重体 坑夫1人午後3時頃、トロッコにより捲上中、天井枠に頭部押圧、下のトロッコに転落、腰部打撲、休業6週間の重体
7.16 坑夫4名逃亡 坑夫4名が昨今の暑気に耐えかね、夜10時過ぎに4名共謀、同村瓦斯鼻海岸より長2間、巾1尺5寸の道板につかまり泳ぎわたる。1名は途中断念し引き返したが、他3名は上陸間の形跡なく溺死の可能性あり
1907
明治40年
1.24 事故、重傷1 午前1時、第3坑内7片磐蒸気卸、大工小頭のとりおとしたレールに当たり、左右けい部、右腰部、休業50日
2.13 坑内のポンプおよび捲揚機作業を工費15万円で電気設備にきりかえる
-.- 三菱端島労働状況(3〜8月頃)
@坑夫募集人は応募者1人に付3円ずつの手数料を得る 炭坑を楽園の如く吹聴し、世人を欺瞞 A坑夫は何れも故郷を忘れ難く、募集人の舌端に欺かれたるを悔いている B会社は淫売婦を雇い随所に淫売店を開業させ更に賭博を奨励 C坑夫はあわれこの陥穽に落入り、前借りの弱身に自由を縛し去られている
-.- 高島・端島間に海底電線ができる。 第5回埋め立て行われる。
1908
明治41年
7.24 新参坑夫感情の対立から不満爆発、数十人が炭坑事務所・派出所を襲い、死者1人、重傷2人、軽傷20人。坑夫60人余拘引
11.26 端島私立小学校経費として、毎年各戸より金5銭〜50銭徴収する事を廃止し、授業料のみを徴収、その他の経費は炭坑支弁
1911
明治40年
5.7 落盤 死者3 午前8時
10.24 病坑夫、友人を頼り放浪、自殺
1912
大正1年
11.17 坑夫2人で小頭見習を袋叩き 午後12時、無断で坑外に出た坑夫を小頭見習が発見、口論しているところへ他の坑夫が来合わせ仲裁に入るが、遂に坑夫2人で小頭見習を袋叩きとす
1913
大正2年
7.5 賭博狂の坑夫、自殺
8.1 落盤 死者2 午後1時、作業中 坑夫佐々木関蔵(24) 坑夫宮脇清(19)
8.10 炭車事故 死者4 重傷3 信号方が過失、ハンドルを誤り炭車が納涼場休憩中の40〜50人の中へ突入 死者、坑夫木村儀助(26)高知県 横川丑之助(37)鹿児島県 宮副熊市(28)長崎県 栗原止(25)広島県
11.20 炭車事故 重傷者1 運炭中、炭車に圧せられ重体、午後4時
1914
大正3年
7.26 新入坑夫、脱走計画の仲間割で傷害 坑夫2人が6月7日、宇品での坑夫募集に応じて同坑へ来たが、仕事が存外辛きより、案に相違、脱走を企てたが、一方が途中から変心。出刃包丁で重傷を負わせたもの
11.26 落盤 死者2 午後2時半 12卸第1片盤休憩中落盤 坑夫浦幸右衛門(31) 坑夫田中広(21)
1915
大正4年
3.22 炭車死1 坑夫新浜小一(21) 午後10時40分、坑内蒸気卸、9片右捲立に於て脱線の炭車と枕木に頭を挟まれ死亡
5.1 12尺層着炭祝 全部休業し、端島鎮守なる金比羅神社の臨時祭典を行い、新興の渡仰 坑夫側及料理屋組合側より俄手踊数組を出し、納涼場では当夜、芝居興行、随意観覧。花火数十発を打ち上げ一層の盛況をそえ全島大賑合、取締応援として巡査2名派遣
7.8 落盤 死者1 坑夫山中栄太郎(33) 午後4時、作業中
1916
大正5年
1.27 ガス爆発 死者3、重傷3、軽傷3 第三坑内直下108間坑底北東に622間の18片12尺蒸気卸右側 25日、同所人力施風機(唐箕と称す)が、落盤で壊れ、26日より電力機 27日午後4時半、電導機に故障(真棒から火花) 午後7時半、修理終了により送電の瞬間爆発 
死亡 電工岩尾博人(21)熊本県 坑夫村中卯一(18)山口県 坑夫梅川安太郎(48)愛媛県 責任 坑務係小頭 西川信男、電気小頭 山口格一、電工 恋塚伴十 (3名過失致死罪の見込み)
3.- 坑内撒水管敷設工事完成(ガス爆発予防として大4末より着手)
3.- 高島とともに少年、婦女の坑内使役を試みる(3月中に14歳以上16歳未満の少年、5月中に婦女を坑内で作業させ好結果を納める)
-.- 我が国最古のコンクリートアパート(30号棟)建設
1918
大正7年
-.- コンクリート9階建てアパート(16〜20号棟)建設 高島二子交流発電所、海底ケーブルにより端島坑内の電力輸送を実施
1919
大正8年
1.15 落盤 死2 先山坑夫 中尾善作(41)広島県 後山坑夫 藤川喜相次(19)宮崎県 午前4時入坑 12尺4片5卸採炭中、午前9時高8尺の天井より長5尺、巾4尺、厚1.5尺の落盤 
7.6 朝鮮人坑夫と日本人坑夫乱闘
11.5 自然発生的ストで要求一部獲得、解雇13 
11.15 落盤 死1、軽1 午後9時40分、坑内砥先12尺止右1卸9片の枠取替作業中、誤って横枠切断 70箱位(1箱600斤)の粉炭崩落、生埋 坑夫梅田静(23)広島県
-.- 持ち込み充填法による長壁式採炭法(急傾斜採炭法)を実施



参考文献
書物名
編著者
「炭坑誌−長崎県石炭史年表」 前川雅夫
「軍艦島実測調査資料」 阿久井喜孝 滋賀秀實