端島での電気設備、電話、ガス、人口密度について
参考文献:軍艦島実測調査資料集(昭和59年発行)、崩れゆく記憶端島鉱閉山18年目の記録、軍艦島海上産業都市に住む、死者への手紙海底炭坑の朝鮮人坑夫たち
●電気設備
 三菱系の炭坑の中では端島が最も早く、明治35年に直流10kWの火力発電機が草分けとされています。
 主に事業所の電灯照明用に使用されました。大正4年高島に交流500kWの火力発電所が設けられ、大正6年には高島と端島の間に3500Vの海底ケーブルが布設されました。
 その後改良と出力増強が行われ、昭和34年には高島で14000kWの火力発電プラントが稼働開始し、電力不足の際には余剰電力を電力会社に逆送電することもあったようです。
 生活電力よりも深海底炭坑としての保安設備や捲揚機用、空気圧縮機用、水揚ポンプ用などの用途が重要視されたようです。
 明治33年に端島で電灯が配給されたとう説もあるようですが、明確には分かりません。しかし、明治39年に佐世保に電灯がついたというから、大正5年の30号棟に最初から電灯照明があったとしても不思議ではないですね。
 居住地域で電気が通じるようになったのは大正7年からであり、それ以前はランプを照明として使用していたいう事は確かなようです。

●電話
 電話通信が始まったのは昭和13年で、公衆電話が整備されたのは昭和22年からであるとされています。居室にある電話機は島内の内線で、何箇所かに公衆電話が設置されており、それが外線につながっていたようです。

●ガス
 島内に現在の都市ガスのような設備は無いようです。各戸にはかまどがあり、旧来は釜戸をつかって調理していたようです。
 56,57号棟のように屋上に煙突が出ている建物のその名残といえるでしょう。閉山前には電熱器を使ったコンロや、ガスボンベを使ったコンロが見受けられたようです。ガスボンベも一箇所に集中しているのではなく、各戸の台所に小さなボンベを置いて使用していたようです。

●人口密度
 端島の居住人口密度はまさに驚異的でした。明治年間には2000人を超え、1960年頃の最盛期には5300人強、閉山 直前であっても2200人でした。
 即ちこれは、居住地域あたりのネット人口密度では1000人/haと いう超高密度でした。収容仕切れない労働者の一部は対岸の野母半島から通勤したといいます。
 データによれば、閉山時点で建築面積(居住地域内)総計12,400u、建築延床総面積総計66,300u、居住地域面積(グランドや通路空間を含む)37,500u、作業場面積25,500u、島全体面積約63,000uということです。 昭和35年頃の最盛期の人口密度は、島全体面積で計算すれば840人/hr、居住地区に限って算定すれば1400人/hr という結果が得られるそうです。この居住地区にはグランドや通路、学校などの公共施設も計算に入っていることを考えれば、更に 驚くべき稠密性を示すことになります。
 グロスによる算定では住居地域における建蔽率は33.0%、容積率は176.7%、島全体で算定すれば建蔽率19.6% 、容積率は105.2%となるそうです。