端島の排水・防潮設備・プール・掃除について
参考文献:軍艦島実測調査資料集(昭和59年発行)、崩れゆく記憶端島鉱閉山18年目の記録、軍艦島海上産業都市に住む、死者への手紙海底炭坑の朝鮮人坑夫たち
●海水排水
 台風の時など、島内に浸入した水は、島内の地上を流れ、各所に開けられた穴から排水されていました。鉄筋コンクリート補強岸壁が現れた頃からは、後付的に造られた排水溝を伝ってマンホール、配水管から海へと排水されました。
 激しい洪水の折りには浜通り自体が川のようになり、「めがね」と呼ばれた大きな開口部から排出されました。「めがね」は地獄段の丁度正面の護岸にあるものです。
 ドルフィン桟橋から30号棟と26号棟の間へと通じるアプローチトンネルも適当なスロープとカーブを持ち、洪水時の排水機能を兼ねていたようです。

●防潮設備
 護岸だけではなく、建物時代が防潮壁として役割を果たしているものがあります。
 31,48,51号棟等は海側に開口部の小さい廊下をとり、積極的に防潮壁の役割を果たしています。また、61,66,67,68号棟も海側に開口部のない妻壁をとり、一応防潮壁的な役割を果たしていたと言えそうです。
 また、30号棟の様に、中庭を取り込んだプランは構造的に安定性があり、周囲の壁を防潮壁と考え、通路部を内側にとることにより生活が直接脅かされない様設計されていたということです。
 その他には、防潮階構造です。居住部に浸水しないように高床式にし、また地階部分を洪水時には遊水池としての役割を持たせた、ということだそうです。51号棟は、一階床面と地盤までに約2mの空間があるのですが、設計図面上でも、防潮階と明記されているそうです。51号棟以降に建造された59,60,61,21,48号棟などにも高床が見られます。また、更に古い時代の30号棟、16,17,18,19,20号棟(日給社宅)にも同様の高床が見られます。
 こうした建物の半地階部分は、後には店舗・居宅などに転用されていますが、水が流れ込まない様に様々な仮設的な防壁の工夫がなされているらしいです。
 また、建物自体にも、塩害を受けにくい木製の扉と各階に設けるなどした防潮扉などがあるようです。地下売店の扉は鉄製だったようですが、既に錆のため朽ち果て跡形もありません。
 島全体における防潮扉の分布を見ると、台風などの影響を受けやすい北西側、浜通り側に集中しているようです。

●プール
 昭和27年に小中学校の前に建設されましたが、昭和31年の台風9・12号で大破し、昭和33年に現存する位置に完成しました。プールでは海水が使用されていました。このプールは25メートルと幼児用プールが併設されていました。閉山の1〜2年くらい前から水道水に切り替えられました。
 報告寮(65号棟)の10Fの保育所にもプールがありました。ここは初めから水道水でした。

●掃除
 住戸内の清掃及び、共有の通路の掃除には消火栓の雑用水を用いたそうです。テラス、廊下など共有部分の掃除は、日時を決めて共同で行っていたようです。
 公共部分の清掃は、町、及び会社が担当していたようですが、周囲を環状に走るメインルートは町役場が、中央高地部の入り組んだ建物は会社が、それぞれ分担して清掃にあたっていたようです。