江戸時代、長崎はわが国唯一の世界との接点として、長崎をとおして多くの文物が海外から日本に持ち込まれるとともに、日本の文化を海外に紹介する窓口であった。明治維新前後、長崎は九州諸地域とともにいち早く当時世界最先端の産業技術を導入し、わが国近代化の牽引力となった。わけても軍艦島(端島)は明治時代に三菱財閥により開拓された炭坑の島であり、長崎の地にあって、三菱重工業長崎造船所とともに、日本の近代化ならびに第二次世界大戦後のわが国の復興に多大の貢献を果たした。明治維新以来百数十年が経過した21世紀初頭の現在、長崎造船所のようにいまなお現役の施設として社会経済的に重要な役割を担っている一方で、多くの施設はすでにその役割を終えている。たとえば、軍艦島は1974年に廃坑となって以来、島民はすべて島を退去し、廃墟と化している。こうした産業上の遺跡や遺物のことを一般に産業遺産というが、改めて周囲を見回してみると、九州各地にはこうした産業遺産をはじめとして先人の営みによる文化的な遺産がいまなお数多く散在している。文化的な遺産のなかでも特に伝承に値する遺産を伝承遺産と呼ぶことにすれば、伝承遺産をこのまま朽ちるにまかせてよいのだろうか。われわれの過去をそのまま放置して忘れ去ってしまってよいのだろうか。われわれはここにはっきりと、そうではない、そうしてはいけないと宣言する。そもそも、社会が未来に対して開かれているところに近代社会のひとつの特質がある。そこでは未来が不確実である。ここに現代社会の不安定さが顕在化する。それを回避するためのひとつの手だてとして、過去を温ねることが望まれる。いたずらに過去に拘泥するのは論外であるが、新奇なものを追い求めるだけでは不足である。ところで、伝承遺産は物言わぬ過去の語り部であるとともに、未来を照らす導きの師である。伝承遺産は人々の情操をはぐくみ、心を豊かにするとともに未来に思いをはせるためのよすがとなる。こうした伝承遺産を保存し修復し活用することにより、その存在を人々が知識として広く共有することは、人々が等しく己の過去を知り、未来を訪ねるための契機をなすのであり、ここに伝承遺産の普遍的な意義があるのである。本シンポジウムは長崎からの発想であり、九州との連帯を求めるとともに、日本全国さらに全世界へ向けての発信である。本シンポジウムをつうじて、伝承遺産を保存し修復し活用するための活動に多くの人々が参加することを呼びかけるものである。
シンポジウム開催発起人一同

![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
| 鹿児島「尚古集成館」 | 福岡「志免炭鉱櫓」 | 熊本「通潤橋」 | 高島「北渓井坑」 |